代々木ゼミナール
Last-modified: Fri, 24 Apr 2020 10:23:10 JST (1655d)
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- キャッチフレーズは、「志望校が母校になる。」
「第一志望」と書いていないのがミソ。
概要
- 1953年(1957年?)、文京予備校を母体に不二学院が開設される。
- 1959年(1961年?)、代々木ゼミナールと改称。
- 隣接する1937年創立の老舗予備校「代々木学院」の生徒を取り込むためだったと言われている。
- 駿台・河合塾と合わせて3大予備校の一角を形成し、一時は駿台や河合塾を凌ぐ人気を誇った。
- 少子化の影響で校舎整理を行い、2014年度末に全国の27校舎の内、20校舎を閉鎖して、駿台に一部校舎(津田沼校、浜松校)を売却した。
特徴
- 1999年に駿台から5人もの人気講師が大量移籍して話題となったことがある。
- 当時は、(関東)駿台の方が経営危機が叫ばれていた。
- 2008年に本部校代ゼミタワーを建て、隆盛を極めるかに思われたが、翌年のカリスマ経営者だった高宮行男氏の死後、急速に失速していった。
- 規模縮小決定後、人気講師の一人だった英語科西きょうじ先生は東進に
脱走移籍したものの、「講師の代ゼミ」と言われただけあって、東大受験生に絶大な人気を誇った富田一彦先生、接点tこと荻野暢也先生、物理科為近和彦先生、化学科亀田和久先生等個性派有名講師が多い。- 彼らが抜けた後は本格的に危ないだろう。
- YouTubeなどで検索をかければ一部の講師の講義の様子が視聴できる。
- なお、吉野敬介先生は代ゼミ退職後、ブランクがあってからの移籍、西きょうじ先生は規模縮小決定後の移籍であり、東進に有名講師を引き抜かれたから代ゼミが弱体化したというのは誤った認識である。
- かつては、全額免除の特待生を濫発していた(タダ券と呼ばれていた)。
- 一部では「潰れた予備校」と馬鹿にされる。山下幸久先生もといY下先生が「Yから始まるセミみたいな予備校」と揶揄する。
- ただし、保有資産ランキングは全予備校中1位(6校舎しかないのに・・・)。
- 「予備校というよりは不動産会社」とおっしゃる講師も。
- ただし、保有資産ランキングは全予備校中1位(6校舎しかないのに・・・)。
- 関西圏では難波の大阪南校のみが残り、1987年開校の江坂にある大阪校も潰れた(閉鎖後もしばらくは御堂筋線から大きなパラボラアンテナが特徴的な大阪校の建物は見えていたが2016年秋頃から解体工事が始まり、2017年の11月に解体が完了した。)
- これに伴って多くの講師が戦力外通告を受けることになった。駿台への移籍を試みた講師も多いらしいが・・・
- 在校生の男女比率に関して、女子の割合が極端に少なく、ほぼ男子校状態だという。
- 過疎化が進んでいるのが現状で、自習室等はいつもスカスカなのだとか。
講師
- 事業縮小決定後に半化通の評論家気取りが、私文系に特化していただの世代交代が上手く行かなかっただの的外れの論評をしていた*1が、実際には昔から国立系や理系にも優れた講師は多く、事業縮小決定のかなり前から長老講師は退職して世代交代していた。
元駿台講師
兼任講師(駿台講師)
- 英語科:青山真也先生
- 数学科:阿部茂先生(退職)、箕輪浩嗣先生(名古屋校)、野崎翔太先生(本部校・立川北口受験プラザ)、
- 漢文科:大角哲也先生(退職)、
- 化学科:佐藤稔智先生
- 生物科:崎村奈央先生(福岡校)
元講師(駿台講師)
前述の通り、大挙して駿台の採用試験を受けた割には少ない。
模擬試験
出版部門
- 代々木ライブラリーという出版部門もある。
- 講師の個性を強く押し出していたため、オーソドックスな定番となるものは少なかった。
- 『前田の物理』のようなロングセラーや、山本矩一郎先生の一連の著作など今でもプレミアが付いて根強い人気の物もある。
- 中には名著もあるが、長らく改訂しておらず情報が古かったり現代の受験状況に合っていなかったりというものも少なくない。
- 最近は新たな出版自体が少なく、白本を含めあまり有用と言える参考書は少ない。
- 人気講師はここからではなく他出版社からの出版も多い。
センターリサーチ
- 廃止。
- 特待生狙いで、超高得点の虚偽申告を行う者が多かった。
- そのためか、センターリサーチの得点のみで特待生になる(タダ券が送られてくる)ことはなくなった。
系列
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